上杉謙信の生涯をわかりやすく簡単に解説!弱気を助ける正義の大名!

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上杉謙信(うえすぎけんしん)、この名前、ほとんどの方はご存知ですよね☻ですがこの上杉謙信、若い時は上杉でも謙信でもなかったんですよね~、そんな謙信について、わかりやすく簡単に紹介・解説していきます。

そもそも上杉家とは

上杉謙信(うえすぎけんしん)はもともと長尾家という家で生まれます。この長尾家なんですが最初は越後の有力者にすぎませんでした。ですが、謙信のお父さん為景(ためかげ)が長尾家を大名にまで長尾家を押し上げたんですね。 1536年にこの為景は合戦で死んでしまいます。謙信は長男ではなかったので、長男の晴景が最初は当主になるのですが、この長男は病弱でとても当主をできるような体ではなかったので謙信が当主となりました。 1552年強大であった長尾家に上杉氏が頼ってきます。関東の北条氏に滅ぼされそうになったからです。そこで長尾家は上杉氏のあとを継ぎ、上杉と名乗るようになりました。 謙信がなくなると、内部分裂が起きますが勝利した景勝(かげかつ)が当主となります。しかし内部分裂により勢力が弱まった上杉家は豊臣秀吉に従わざる負えなかったのでした。 五大老の一人に任命された景勝は、1598年に会津120万石に移るよう言われます。1600年には西軍に味方するも敗北30万石に削られてしまいました。

上杉謙信の生涯

戦国大名は天下を取るために敵領地を増やしていく考えが普通ですよね。でもこの上杉謙信(うえすぎけんしん)だけは違いました。 上杉謙信は自分の野心による戦争は一回も起こしていません。あくまでも自分に助けを求めてきた弱者のために戦います。実際武田信玄に敗れた人々が謙信に助けを求めてきており、謙信は信玄と5度も対戦している。川中島の戦いですね。 5度も戦っていますが別に信玄に恨みはありませんでした。その証拠に塩が取れない武田家に謙信は農民まで戦いに巻き込んではならないと塩を送っています。敵に塩を送る。で有名ですよね☻ 謙信は古い秩序を重んじる性格でした。なので、室町幕府を中心とした制度を守るべきという考え方を持っていました。そうした謙信にとって、室町幕府と敵対する勢力北条氏とは積極的に戦い続け、さらに、幕府を滅亡に追い込んだ織田信長は許せない存在でした。 48歳の時謙信は織田信長を倒そうと上洛をしようとしますが、その準備の途中で病死してしまうのでした。

注目エピソード

1561年まだ長尾の姓であった謙信は関東管領上杉氏を助けるために上杉憲政(うえすぎのりまさ)の養子になり北条氏と戦うことで上杉家の威厳を取り戻そうとしました。

本拠地

春日山城(かすがやまじょう)、新潟県にある城ですね。1458年前後に築かれ、難攻不落の城といわれました。上杉謙信の父の代から本拠地として栄えますが、景勝が会津に移ると不便という理由で廃城になりました。

まとめ

1530年に長尾家に生まれた上杉謙信は1543年に元服して最初景虎(かげとら)と名乗っていました。1552年上杉憲政(のりまさ)を保護し上杉姓を名乗るようになり、1553年上洛、1559年にも2度目の上洛、1553~1564年まで川中島ので長年武田家と争ってきました。室町幕府が滅亡に追い込まれそうになり、織田家との同盟を1576年に破ると1577年織田軍を撃破!その勢いで、3度目の上洛をしようとしたところで上杉謙信は1578年病死してしまうのでした。 以上、上杉謙信について簡単に解説していきました。変わった人ですよね、世の中自分のために動く人ばかりなのに人のために戦う、そんな考えの謙信はとても尊敬しています☻

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