梶山静六さんとは?死因は交通事故!簡単にご紹介します!

政治・政治家
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梶山静六(かじやませいろく)さん、日本の政治家で元県議会議員でした。ですが梶山さんは2000年に亡くなられてしまいます。

今回は梶山静六さんについて簡単にわかりやすくご紹介させていただこうと思います!

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梶山静六さんのプロフィール・経歴

梶山静六(かじやませいろく)

1926年3月27日生まれ、農家の六男として生まれます。姉が四人

茨城県出身で、茨城県立太田中学校、陸軍予科士官学校、陸軍航空士官学校卒業後、日本大学工学部土木工学科を卒業されます。

その後は家業である石材業を継いでいます。

ですが、1955年に出馬した梶山静六さんは茨城県議員に当選します。それからは議員として活躍されるのですが1958年の選挙では不正をしたと疑われ一度逮捕されてしまいます。

梶山さんはこれにより起訴されてしまうのですが、最終的に疑いが晴れ無罪となりました。

この事件により梶山さんの悪評が広がってしまい、今後の選挙では苦戦してしまうのですが、他の議員の証言や黒い霧事件とよばれる政治不信事件により信頼や実力を着々と伸ばしていくのでした。

1966年には茨城県議長に選出されます!

その後、田中角栄が茨城県を訪れた際に田中さんの目に留まり直接国政進出の話を持ち掛けられるのです。あの田中角栄さんに認められるってのは本当にすごいですね。それ以前に茨城県議長になったりしている時点でやばいですけどね…

1969年には衆議院総選挙に初当選します。これにより国の政治にかかわることになります。

田中角栄はロッキード事件により逮捕されてしまうのですが、この当時田中の事を崇拝していた梶山さんは田中角栄が出所した際真っ先に迎えに行きこの行動が世間の目に留まり、これが原因で落選してしまう、といった経緯もあるんですよ(;^ω^)

北朝鮮による日本人拉致問題をはじめて公式にて認める

1988年に、北朝鮮による日本人拉致問題を始めて政府公式で認めた。その人物こそがこの梶山静六さんです!

梶山さんはこの拉致問題に対し「北朝鮮による拉致の疑いは十分濃厚であり、解明は困難ではあるが事態の重要性にかんがみ、今後は真相究明のために全力を尽くすとの考えを示し、本人はもちろんの事ご家族の皆様にも深く同情を申し上げる次第である」と申されております。

一歩間違えると北朝鮮に何言われるか、何されるか分からない、、、

こんな状況でこのセリフを始めて公に公表した梶山さんはほんとすごいとおもいました☻

自民党幹事長就任

その後、1992年に自民党幹事長に就任されるのですが、1993年に自民党は野党に転落、その責任をとった梶山静六さんは責任を取り幹事長を退任されてしまいました。

それからは「自民党下野のA級戦犯」と呼ばれ1944年まで謹慎生活を余儀なくされてしまうのですが、1998年には小泉純一郎との選挙でわずか40だったが得票を上回る成果を出したのです!

2000年、交通事故に巻き込まれる!

政治界でご活躍された梶山静六さんですが、2000年の1月30日、交通事故に巻き込まれてしまいます。

これが直接の死因というわけではないのですが、これにより体調を崩した梶山さんは3か月後に政界を引退を表明されます。そして同年の6月、閉塞性黄疸により死去されるのでした(74歳)

その後は梶山さんの長男である梶山弘志さんがそのあとを継ぎ、茨城県では初当選されるのです!

まとめ

以上、梶山静六さんについて簡単に紹介させていただきました!

本当にわかりやすく説明させていただいたので詳しくない方でも少しは理解できたかなと思います。☻

少しでも参考になれば幸いです!

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