南部信直についてわかりやすく解説!

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南部信直(なんぶのぶなお)は戦国時代の武将で南部家の26代目当主ですね~、この人物は内部分裂していた南部家を再建させた人物です。岩手県から青森県まで支配していた大名ですね~。南部信直という人物、知らない方が多いと思うので簡単に解説・紹介していきます!!

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そもそも南部家とは

南部家は東北地方を支配する大名であると、知っている方は少しいるかもしれません..ですが、実はもともとは甲斐(山梨県)を本拠地にしていました!東北地方にうちり住んできたのは平安時代の末期だそうです。 そして徐々に東北地方に影響力を及ぼしていくようになりますが、家中で分裂してしまい、勢力を弱めてしまうのでした。 戦国時代に入り、南部晴政(なんぶはるまさ)(のぶなおのいとこですね)が、当主となり勢力を盛り返します。青森県と岩手県北部を支配するまでに至りました。しかしふたたび家中で争い、津軽地方(青森県西部)を失うのでした。 1582年さらに晴政が病死し渦中で争いが起こり、南部家は完全に分裂してしまいます。そこで新たに当主となったのが南部信直(なんぶのぶなお)でした。 信直は秀吉を頼り、どうにか南部家は安泰となりました! 信直が亡くなった後江戸時代になると、10万石の領地を与えられ、盛岡藩を開くのでした。

南部信直の生涯

24代当主晴政(はるまさ)は男子がいませんでした。そこで、このいとこの信直を養子に迎えて、南部家を安定させようとしたのですが、1570年晴政に男子が生まれてしまうのでした、これにより、南部家は一族同士の争いが起きてしまい、命の危機を感じた信直は養子であることを辞退し生まれ故郷に戻るのでした。 1582年晴政が病死すると、25代当主には晴政の実の息子晴継(はるつぐ)に決定しました。しかし晴継は何者かにより、暗殺されてしまいます。再び争いが起きる南部家、とくに九戸政実(くのへまさざね)という人物が自分の弟を次の当主にしようとするのですが、家来がそれに反発、それにより信直が26代当主になりました。 信直は優秀でした。当主になった直後からライバルを1588年に滅ぼし、独立の動きをみせた津軽為信が秀吉に会いに行ってるのを知り、自分も秀吉のもとを訪れ南部家を大事にするよう取り付けたのでした。 そして秀吉が死に次の天下人が家康だろうと判断した信直は家康に許しをもらい、盛岡城を築きます。 1599年本拠地を盛岡城に移して、政治に力を入れますが、その冬に病死してしまうのでした。

注目エピソード

1591年、南部信直が当主となったのをよく思っていなかった九戸政実(くのへまさざね)を信直は秀吉から10万の援軍をもらい鎮めるのでした。

本拠地

南部家はもともと聖寿寺館(しょうじゅじやかた)(青森県にある城)に本拠地を置いていました。しかし1539年に燃えてしまいました。 そこで南部晴政が三戸城(さんのへじょう)を築き、南部家の本拠地となりました。1599年に盛岡城に本拠地は移されたのですが、三戸城は存続しました。

まとめ

南部信直は1546年石川高信(いしかわたかのぶ)の息子として生まれます。しかし1571年父が津軽為信に殺されてしまいます。そして、一度は晴政の養子になった信直ですが、実の息子が晴政に生まれてしまい、命の危険を感じた信直は故郷に戻るのでした。 その実の息子も暗殺されてしまい、次の当主となった信直は秀吉に従い南部家を安定、そして1598年盛岡城を築城を開始し本拠地を移したのちその冬に病死してしまうのでした。 以上南部信直でした。少しでの参考にしてもらえれば幸いです

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