織田信長の生涯をわかりやすく簡単に解説!戦国を駆け抜けた革命児!

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皆さん、織田信長(おだのぶなが)、もちろんご存知ですよね☻私は、戦国時代が大好きで、いろいろ好きな武将がいるのですが、やっぱり一番好きな武将は織田信長ですね!

ドラマや漫画などでもよく主人公として俳優に演じられてきました。(例えば信長協奏曲とか、信長のシェフ等ありましたね。)

たった一つの小さな小国から日本の重要拠点のほとんどを支配下におさめた織田信長!最後には本能寺にて死んでしまいまうんですよね。

そんな織田信長の生涯をわかりやすく簡単に紹介・解説していこうと思います。

織田信長についてあまり詳しく知らないという方は是非参考にしてくださいね!!

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そもそも織田家とは

織田家はもともと越前(福井県)の神主でした。しかし室町時代になると越前から尾張へと移り住んできたのです。

そして尾張の大名であった斯波氏(しばし)の家来となります。戦国時代になると、下剋上の風潮に乗った織田家の織田信秀(おだのぶひで、信長の父)が斯波氏をのっとって戦国大名となります。

そして隣接している敵国、今川氏や斎藤氏と争うようになるのです。

信秀が死に、信長が当主の座につくと、清洲城(きよすじょう)を本拠地とし、1559年には斯波氏を尾張から追い出して、完全に尾張を統一します。

1560年には今川義元の大軍を桶狭間で打ち破り、それをきっかけに、信長は一気に勢力を広げるようになります。

1568年に上洛を果たすのですが、その後は室町幕府と敵対し、滅亡に追い込みそして浅井氏、朝倉氏、武田氏を滅ぼし、さらに勢力を伸ばし続けます。

1582年に信長が死ぬと孫の秀信(ひでのぶ)が後継者となるのですが、権力は秀吉が握り織田家は没落、そして秀信は関ヶ原の戦いで西軍についたため、高野山に追放されるのです。

織田家の領地は完全になくなったのですが、信長の兄弟の子孫は現在に至ります。

織田信長の生涯

織田信長は1534年に尾張に生まれます。幼いころから気性が荒かった信長は常識がないと周りの人々にうわさされ、尾張のうつけ者とよばれていました。(常識のない馬鹿者という意味です。)

ですがこれは織田信長の考えが、当時の常識に追いついてこなかったためであって、この当時うつけと呼ばれていた信長の考えがあってこそ勢力を伸ばすことが実現されたのです。

信長は早くから鉄砲が重要な武器になると判断し、鉄砲を大量に用意していました。これも当時としては常識外なことだったのです。

しかしこれが武田氏を滅ぼすきっかけとなる長篠の戦いで勝利するための重要な武器になったわけですよね。

さらに信長は金銭にも着目していました。米が重要だと考えられていた当時にあったのにもかかわらず、信長は金銭を使うことにより国が栄えると判断します。

関所を廃止し、特権的な商人も解散させ品物の行き来を盛んにし、だれでも自由に売買ができるようにします。(世にいう楽市楽座です。)

古い権力は信長にとっては全く関係のないもので、自分に敵対するものであれば、室町幕府であっても、仏教の頂点の比叡山延暦寺であっても容赦なく攻撃しています。

こうした他人とは全く異なる考えを持っていた信長は天下統一へと突き進んでいくのですが、すべてがうまくいったわけではありませんでした。2度ほど織田信長にもピンチを迎えています。

一度目は1572年、武田信玄が軍をあげたときです。信玄は信長の領土の敵隣接国である諸大名と手を組み信長の動きを封じます。

2度目は上杉謙信が上洛に向け信長の領土に軍を向けた時です。

いずれのピンチもギリギリのところで信玄、謙信の病死により助かりました。

信長は実力だけではなく運も持っていたことになりますね!

1582年、天下統一までもう少しのところで明智光秀(あけちみつひで)の裏切りにより本能寺の変で自害し信長の生涯は終わりを迎えるのでした。

注目エピソード

1571年、比叡山延暦寺は信長と敵対する、浅井・朝倉氏と協力します。比叡山延暦寺は日本では絶対に攻め滅ぼしてはいけないとだれもがそう思っており信長の家臣たちもまた、延暦寺を恐れていました。

しかし信長は延暦寺を滅ぼすことを決意!家臣たちの反対を押しのけて、比叡山延暦寺を焼打ちにしてしまいます。

本拠地

清洲(きよすじょう)、1555年信長の本拠地となります。1560年の桶狭間の戦いでは信長はこの 清洲城からから出陣しています。1561年には信長の長男の信忠(のぶただ)が城主となり1610年にはこの地に名古屋城が築かれ廃城となるのでした。

信長は勢力を広げるのと同時に本拠地を転々と移動します。清州城の他に主な信長の本拠地は岐阜城、安土城などがあります!

まとめ

1534年に尾張に誕生した信長は1546年に元服、父信秀が死ぬと、1551年に織田家の当主に。

1560年には桶狭間の戦いで今川義元を打ち破り、それから急速に勢力を伸ばしていきます。二度ほどピンチを迎えるも日本のほとんどを領土におさめるほどに勢力を伸ばします。

1582年、天下統一まであと一歩のところで明智光秀に裏切られ本能寺で自害するのでした。

以上、織田信長についてわかりやすく簡単に解説してきました。

少しでも参考になれば幸いです!

 

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