安土城を復元するとどうなる?放火犯は一体誰なの?その真相とは!

織田信長
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安土城は織田信長が築城した城として知られていますが現在は消失しており安土城がどのような規模であったのか。

ほとんどの事は謎に包まれています。

ですが、今回は安土城があったとされる場所から発掘された瓦や、書物、織田信長が生きていた時代の人々が残した言葉を元に、安土城を復元していきたいと思います。

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安土城を復元するとどうなる?

当時、ルイスフロイスというポルトガルの宣教師がいました。

彼は信長と、深く関わりをもつ外国人です。

そのフロイスによると、安土城は安土山全体を城郭にした平山城であり天守は5層7階の高さは約46メートルもあるとても大きな城だったそうです。

今存在する城と比較してみると、例えば姫路城。

世界遺産であるこの城は天守の高さは31.5メートルとなります。

比べてみると15メートルほども安土城の方が大きいんですよね!復元されるとなれば今あるどんな城よりも注目される城となることでしょう。

さらに安土城がある場所が安土山の頂上にあり、ふもとから約100メートル近い場所に建っています。

当時の技術で100メートルもの山全てを城郭にするには10万人で工事するにしても半年はかかるとの事。

その上使われていた瓦は金箔が使われており最上階については外も内も全て金で装飾されていました。

また、この瓦は職人集団である奈良衆が焼いていたとされており、発掘された瓦全てとても丁寧に制作されていたとの事。

瓦、職人、金、大工。

全てが最高級のものを使っていた!そんな城だったのです。

復元されるとなると、10万人ともなる最高の職人の半年分の労働費に加え、最高の材料の材料費…

想像もつかない…(ー ー;)

安土城の城下町を復元してみる。

これまたルイスフロイスさんによると、

城下町は4キロメートルほどの長さに広がり住民の数は6000人を超えていたとの事。

ざっくり言うと戦国時代の人口は1500万人ほどとされており、今の大体十分の1ほどの人口でした。

という事で今に換算すると、4キロの城下町に6万人の人々が住んでいたことになるでしょう。

しかし専門家によると、このルイスフロイスの「4キロメートル」と言う話は少し大げさにいったものとされており実際には長くて2.5キロメートルであろうと言う事でした。

という事で最終的に今に換算すると1平方キロメートルあたり、約3万人が住んでいたことになりますね。笑

もちろん復元してみたと言っても本当に詳しいところまではわかっていないので実際の安土城城下町はもっと複雑なんでしょう。

つまり言いたい事は「復元したくてもわかってる事が、少なすぎて復元不可能」と言う事ですね。

安土城が復元できない理由とは?

今言ってきたことを見てもらえればある程度安土城が復元できない理由がわかってもらえるかなーと思います。

安土城を、復元できない理由について箇条書きでまとめると

  • 安土城復元には莫大な費用がかかる
  • 安土城の資料がなく明確な情報はほとんどないため復元の仕様がない。

の、大きく分けて二つの理由があるでしょうね。

一つ目の「安土城復元には莫大な費用がかかる」と言うのは上記に書いた通り、

安土城は山一つを城郭にするほど巨大な城である上に、使われている材料が金箔である事から復元するとなると莫大な費用がかかるというのは想像は難しくないですよね。

そして二つ目の理由が最も安土城の復元を困難とさせる要因でしょう。

現在安土城跡は国の文化財として指定されており下手に手出しはできない状況にあります。

安土城についてほとんど資料が残っておらず正確な復元ができない現在の状況で、国が復元を認めるわけがありませんよね。(ー ー;)

復元されたとしても、それは織田信長が創造した「安土城」とは言い難いのです。

こう言った理由により安土城の復元は難しいでしょうね。

ですが、二つ目の理由がもし改善されたとなれば莫大な費用がかかれども復元される可能性は高いと私は考えますけど…

そもそも誰が安土城を放火した?

そもそも安土城が消失していなければ、復元などと言う言葉は出なかったことでしょう

安土城を放火した犯人はいったい誰なのか?実は様々な諸説があります。

まずは最初にの説として明智秀満(明智光秀の重臣、明智光秀のいとこという可能性もある)が放火したという事。

明智光秀が豊臣秀吉に戦で負けた時、重臣の明智秀満はというと坂本城という城に退却していました。その退却の最中に秀満が安土城に火を放ったのだと「太閤記」には書かれています。

しかし、明智光秀と親しかった吉田兼見という人の日記「兼見卿記」では安土城は6月15日に焼却されたとか書かれているのです。

これはつまりどういうことかといいますと、「太閤記」と「兼見卿記」では安土城が焼失した時期が違うという事。

この時点で明智秀満が火を放ったかどうかの信ぴょう性は半信半疑なわけです。(^^;)

第二に織田信雄による放火説があります。織田信長の実の子であるがなぜ放火説が疑われたのでしょうか?

ルイスフロイスによると、織田信雄を知恵がなく判断能力がなかったとの事。

そこで織田信長の事をよく思っていなった知恵のあるデウスにより織田信雄をうまくひっくるめて焼失させるようにしむけたそうです。

結果、織田信雄により安土城は焼失してしまったという事です。この説は専門家によるとルイスフロイスの言葉と安土城跡の状況が合致していることから最も有力な説とされています。

いずれにせよ、歴史の謎は多いですよね。(;^ω^)

以上復元についてと放火犯についてでした。

織田信長が安土に城を築いた理由6つについてはこちら

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